【なぜ】シューベルトの未完成交響曲【評価も】

未完成交響曲を完成させたシューベルト 音楽

フランツ・シューベルトの交響曲第8番ロ短調D.759、通称「未完成交響曲」は200年近くの時を経ても色褪せることのない名曲です。

たった2つの楽章しか完成していないにもかかわらずその表現力豊かな旋律と革新的な構成は多くの音楽ファンを魅了し続けています。なぜシューベルトはこの交響曲を完成させなかったのかそして完成していない作品がなぜこれほどまでに愛され続けるのか。

今回はこの未完成交響曲の誕生背景から音楽的特徴や評価までを、詳しく探ります。

「未完成交響曲」の誕生と背景

シューベルトと交響曲第8番の創作環境

「未完成交響曲」の起源は1822年、フランツ・シューベルトが25歳の時にさかのぼります。

この時期はシューベルトにとって多難な時期でした。1822年頃彼は重い病気に罹患していて後に梅毒と判明するこの病気は彼の健康を著しく損ないました。

病との闘いの中でシューベルトは音楽への情熱を失うことなく創作を続け多くの名曲を生み出しています。

Schubert-Symphonyn°8″Unfinished”-Berlin/Furtwängler1953

この交響曲はオーストリアのグラーツ音楽協会から名誉学位を授与されたシューベルトが感謝の意を込めて作曲したものとされています。完成した部分(第1楽章と第2楽章)は同協会の会員でシューベルトの親友だったアンセルム・ヒュッテンブレンナーに送られました。

シューベルトがこの作品に取り組んでいた1822年は彼の創作スタイルが大きく変化した時期でもありました。彼はそれまでの古典派の伝統から少しずつ離れより個人的で表現力豊かなロマン派の音楽言語を模索し始めていたのです。

未完成交響曲はまさにこの過渡期に生まれた作品でシューベルトの古典的な訓練と革新的な志向の両方が感じられる傑作となっています。

その後シューベルトは1828年に31歳という若さでこの世を去りましたが「未完成交響曲」は彼の生前に演奏されることはありませんでした。実際世間にこの作品の存在が知られるようになるまでにはさらに長い時間が必要だったのです。

未完成の謎:なぜ完成されなかったのか

未完成交響曲がなぜ未完のまま残されたのかについては現在でも多くの憶測が飛び交っています。考えられる理由をいくつか見てみましょう。

まず最も一般的な説はシューベルトの健康問題です。梅毒の症状に苦しんでいた彼は体力的に大規模な作品を完成させる余力がなかったのかもしれません。特に交響曲のような大きな編成の作品は構想から完成まで膨大なエネルギーを必要とします。

別の説ではシューベルトが新しい交響曲の形式に挑戦する中で行き詰まったという可能性も指摘されています。彼は伝統的な4楽章構成から脱却しより集約的で表現力豊かな2楽章構成を試みていたのかもしれません。実際現存する2つの楽章だけでも感情的に完全で充実した内容を持っているという評価は少なくありません。

シューベルトが第3楽章のスケルツォを作曲し始めたという証拠もあります。ピアノのスケッチとして残されたこの断片から彼が最初から2楽章だけの作品を意図していたわけではないことが分かります。おそらく何らかの理由で創作の続行を断念したのでしょう。

興味深い説としてシューベルトが未完成を意図的に選んだという可能性も考えられます。つまり完璧主義者だった彼は自分の新しい音楽的ビジョンを完全に表現できないと感じむしろ未完成のまま残すことを選んだというものです。これは「未完成の美学」とも呼べる芸術観で後のロマン派の芸術家たちが共感した考え方でした。

「未完成交響曲」はシューベルト唯一の未完成作品なのですか?

シューベルトには他にも未完成の作品がいくつかあります。最も有名なのはピアノソナタ第8番ヘ短調D.759(「未完成」とは異なる作品番号ですが同じ年に作曲された)でこれも広く演奏されています。また「ラザロ」や「ザクセン伯爵」などのオペラ作品も未完成のまま残されています。シューベルトは生涯で約1000曲もの作品を残していますがその中にはスケッチのみで終わったものや部分的にしか完成していないものも少なくありません。

この交響曲は最初からロ短調で構想されていたのですか?

はいシューベルトは最初からロ短調で構想していました。

実はロ短調という調性自体当時の交響曲としては非常に珍しいものでした。シューベルトは調性に非常に敏感でそれぞれの調に特別な感情的な性格を見出していたと言われています。ロ短調は彼にとって深い悲しみや内省的な気分を表現するのに最適な調だったのでしょう。

作曲から初演までなぜそんなに時間がかかったのですか?

この謎は主にアンセルム・ヒュッテンブレンナーに関係しています。

彼はシューベルトから楽譜を受け取った後何らかの理由でそれを公開せず40年近く手元に保管していました。彼がこの貴重な作品を秘蔵していた理由については様々な説があります。シューベルトの意向を尊重したという説がある一方で自分の管理下に置いておきたかったという説もあります。いずれにせよ1865年にようやくウィーン楽友協会の指揮者ヨハン・ヘルベックの手に渡り同年12月17日に初演されることとなりました。

第3楽章と第4楽章はどうなったのですか?

第3楽章についてはピアノスケッチの断片が残されています。これはスケルツォ(軽快な3拍子の楽章)として構想されていたようですがオーケストレーションされることはありませんでした。

第4楽章についてはスケッチすら見つかっていません。興味深いことにシューベルトの「ロザムンデ」という劇音楽のアントラクト(幕間音楽)がロ短調で書かれていることからこれを第4楽章として流用する予定だったという説もあります。そのため一部の演奏会ではこのアントラクトを「未完成交響曲」の終楽章として演奏することもあるようです。

「未完成交響曲」の音楽的特徴

革新的な構成と表現力

「未完成交響曲」の最大の特徴はその革新的な構成と濃密な表現力にあります。完成している2つの楽章はどちらもシューベルト特有の叙情性と劇的な対比に満ちています。

第1楽章(アレグロ・モデラート)は低弦による不安げな主題で始まります。

この冒頭部分は当時としては非常に斬新で低い音域からゆっくりと浮かび上がるような導入はベートーヴェンの第9交響曲にも影響を与えたとされています。続いて登場するオーボエとクラリネットによる美しい第2主題はシューベルトの歌曲のような叙情性を持ち聴く者の心を鷲掴みにします。

第2楽章(アンダンテ・コン・モト)も緊張と解放の対比が見事です。穏やかなE長調の主題とそれを劇的に中断するような短調の挿入部が交互に現れシューベルトの内面の葛藤を表しているかのようです。この楽章は特に美しいメロディで知られ後にポピュラー音楽でも引用されることになります。

両楽章に共通するのは古典派の形式(ソナタ形式)を守りながらもその中で自由に感情を表現しようというシューベルトの試みです。例えば従来の交響曲では主題が展開される「展開部」が比較的短いことが多かったのですがシューベルトはこの部分を大幅に拡大しより深い感情表現を追求しました。

また古典派では調性が安定していることが一般的でしたがシューベルトは頻繁に調を変え時に遠い調へと転調します。これによって聴き手は予期せぬ情感の変化に驚かされより豊かな音楽体験を得ることができるのです。

オーケストレーションの妙

「未完成交響曲」のもう一つの特筆すべき点は巧みなオーケストレーションです。

シューベルトは初期ロマン派の標準的な編成(フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペットのペア、トロンボーン3本、ティンパニ、弦楽器)を使いながらもその組み合わせの妙によって様々な音色を創り出しています。

例えば第1楽章の冒頭低弦だけで奏でられる不安げな主題はその後オーボエとクラリネットに受け継がれ全く異なる印象を与えます。またトロンボーンの使用も特徴的です。当時トロンボーンは主に荘厳な場面や宗教的な場面で使われることが多かったのですがシューベルトはそれを劇的な効果を高めるために効果的に使っています。

シューベルトは楽器の特性を熟知していてそれぞれの持ち味を最大限に引き出すオーケストレーションを施しています。弦楽器の豊かな表現力、木管楽器の透明感ある音色、金管楽器の力強さなどそれぞれの特性を生かした使い分けが見事です。

この交響曲の魅力の一つは大きな音響効果よりもしばしば室内楽的な親密さを持つ部分が多いことでしょう。全楽器が一斉に鳴り響く場面ももちろんありますが少数の楽器による繊細な対話のような場面も多くこれがシューベルト特有の親密な表現を可能にしています。

オーケストレーションの点でもシューベルトは古典派からロマン派への架け橋的な位置を占めているといえるでしょう。彼は古典派の明晰さを保ちながらもロマン派的な色彩感や情感を追求していたのです。

和声の革新性

シューベルトの音楽の特徴の一つに革新的な和声感覚が挙げられます。「未完成交響曲」でもその才能が遺憾なく発揮されています。

特に注目すべきは遠隔調への大胆な転調です。古典派の作曲家たちは通常関係の近い調性(例えば、ハ長調からト長調など)への転調を好みましたがシューベルトはしばしば予期せぬ調性への転調を行います。例えば第1楽章では主調のロ短調から突然変ニ長調という遠い調性に移行する場面があり聴く者に新鮮な驚きを与えます。

シューベルトはしばしば長調と短調を交互に使用することで明と暗、希望と絶望といった対照的な感情を表現します。第2楽章のE長調の主題が突如として暗いト短調の挿入部によって中断されるような瞬間はまさにその典型です。

シューベルトは従来の和声進行の規則にとらわれず独自の響きを追求しました。時に不協和音を大胆に使用しそれを予想外の方向に解決させることで聴き手に新たな音の世界を示しています。

こうした和声的な冒険は後のロマン派の作曲家たちに大きな影響を与えました。特にブラームスやブルックナーなどはシューベルトの和声法から多くを学び自分たちの作品に取り入れていったのです。

「未完成交響曲」の運命と影響

発見から初演へ:40年の空白

「未完成交響曲」の運命はそれ自体が一つのドラマです。シューベルトが1822年に作曲したにもかかわらずこの作品が一般に知られるようになったのは彼の死後40年近く経った1865年のことでした。

この40年の空白にはアンセルム・ヒュッテンブレンナーという人物が関わっています。彼はシューベルトの友人でグラーツ音楽協会の会員でもあった作曲家でした。シューベルトは感謝の意を込めてこの交響曲の完成した2楽章の楽譜をヒュッテンブレンナーに送ったとされています。

しかしヒュッテンブレンナーはなぜかこの楽譜を公開せず長年自分の手元に保管していました。彼がこの貴重な作品を秘蔵していた理由については諸説あります。シューベルトの意向を尊重したという説もありますが名声が高まりつつあったシューベルトの貴重な資料を自分の管理下に置いておきたかったのではないかという見方もあります。

ようやく1865年ウィーン楽友協会の指揮者ヨハン・ヘルベックがこの作品の存在を知りヒュッテンブレンナーから楽譜を譲り受けることに成功しました。同年12月17日ウィーンで初演されたこの交響曲は聴衆と批評家から熱狂的な反応を得ました。

この時すでにシューベルトは音楽史上の偉大な作曲家として認識されつつありましたが「未完成交響曲」の発見と初演は彼の評価をさらに高める決定的な出来事となりました。初演後この交響曲はたちまちオーケストラの標準的なレパートリーに加えられ今日に至るまで最も人気のある交響曲の一つとなっています。

後世の音楽への影響

「未完成交響曲」は後の作曲家たちに大きな影響を与えました。まず2楽章だけで完結するという形式は従来の4楽章構成に縛られない自由な形式の可能性を示しました。19世紀後半から20世紀にかけて多くの作曲家がこの先例に倣い伝統的な形式から離れた実験的な作品を生み出していきます。

シューベルトの情感豊かな旋律法は特にブラームスやチャイコフスキーなどのロマン派の作曲家に大きな影響を与えました。ブラームスの交響曲第3番にはシューベルトへのオマージュとも取れる要素が随所に見られます。

和声的な革新性も後世に大きな影響を残しました。遠隔調への大胆な転調や長調と短調の対比といった手法はブルックナーやマーラーなどの後期ロマン派の作曲家たちによってさらに発展させられました。

「未完成交響曲」の影響はクラシック音楽の枠を超えてポピュラー音楽の世界にも及んでいます。特に第2楽章の主旋律は広く知られ1950年代にはプラターズやインク・スポッツによって「MyPrayer(私の祈り)」というポップソングにアレンジされヒットしました。また映画音楽や広告音楽でも頻繁に引用されています。

このように「未完成交響曲」はその未完成性にもかかわらずあるいはむしろその未完成性ゆえに後世の音楽に多大な影響を与え続けているのです。

現代における評価と演奏解釈

「未完成交響曲」は現代においても最も頻繁に演奏されるクラシック音楽の一つです。この作品への評価は時代とともに変化し深まってきました。

初演当時は主に「美しい旋律」「叙情的な表現」が称賛されていましたが20世紀に入ると和声的な革新性や形式の実験性により注目が集まるようになりました。現代の音楽学者たちはシューベルトがこの作品で古典派からロマン派への過渡期を象徴的に表現したことの歴史的重要性を指摘しています。

演奏解釈も時代によって変化してきました。19世紀末から20世紀前半にかけては感情豊かで自由なテンポ変化を伴う演奏が好まれましたが20世紀後半になると原典に忠実でより客観的な演奏スタイルが主流となりました。21世紀に入ると古楽器を使用した歴史的演奏法による解釈も増えています。

興味深いのはこの交響曲の「未完成性」への捉え方の変化です。かつては「惜しくも完成しなかった作品」という見方が一般的でしたが現代では「2楽章でこそ完全である」という解釈も広まっています。つまりシューベルトは意図的に2楽章構成を選んだ可能性があるという見方です。

「未完成交響曲」を完成させようという試みも時折なされています。複数の作曲家や音楽学者が第3楽章、第4楽章を補作しましたがいずれもシューベルト自身の作品に比べると見劣りするとされ一般的には「未完成」の形での演奏が好まれています。

この傾向は芸術における「未完成の美学」という概念とも関連しています。完成しなかったからこそ聴き手の想像力を刺激しより深い解釈を可能にするという考え方です。

ミケランジェロの未完成の彫刻やダ・ヴィンチの未完成の絵画が高く評価されるのと同じようにシューベルトの「未完成交響曲」もその未完成性ゆえの魅力を持っているのかもしれません。

まとめ

シューベルトの「未完成交響曲」はその名の通り未完成のまま残された作品でありながら200年近くにわたって音楽ファンを魅了し続けてきました。

なぜシューベルトがこの交響曲を完成させなかったのかという謎は今なお完全には解明されていません。健康上の問題だったのか芸術的な行き詰まりだったのかあるいは意図的な選択だったのか。この謎は作品自体の魅力をさらに高める要素となっているのかもしれません。

作曲されてから初演までの40年間楽譜を保管していたヒュッテンブレンナーの動機もまた興味深い謎です。しかしこうした運命のいたずらを経てようやく世に出た「未完成交響曲」は瞬く間に音楽界の宝として認められ現在では最も愛されている交響曲の一つとなっています。

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