【ロック解説】エアロスミスとは【スティーブン・タイラー】

ボストンを歩くエアロスミスメンバー ミュージシャン

半世紀以上にわたってロックの世界を席巻してきた「ボストン出身のバッドボーイズ」エアロスミス

彼らの音楽は時代を超えて愛され続け今なお世界中のファンを魅了しています。独特のブルージーなハードロックサウンドと圧倒的なライブパフォーマンスで知られる彼らの足跡をたどると薬物乱用、メンバーの確執そして何度もの復活というまさにロックンロールそのものの物語が見えてきます。

50年以上たっても原点回帰できるエアロスミスの魅力と音楽的功績を探ってみましょう。

バンドの誕生と初期の成功

結成とブレイクまでの道のり

エアロスミスは1970年にボストン近郊で結成されました。

リードシンガーのスティーブン・タイラー、ギタリストのジョー・ペリーとブラッド・ウィットフォード、ベーシストのトム・ハミルトン、ドラマーのジョーイ・クレイマーという5人のメンバーで構成される彼らは地元のクラブシーンで地道にライブ活動を重ねていきました。

当初は無名のバンドとして苦労の日々を送っていましたが彼らの熱心なライブ活動がついに実を結び1972年にコロンビア・レコードと契約。これが彼らの長いキャリアの幕開けとなります。

バンド名の「エアロスミス」はドラマーのジョーイ・クレイマーが高校時代に書いていたノートの落書きから取られたものだと言われています。

また初めて一緒に演奏した時タイラーはなんとドラマーとして参加し、ボーカルではなかったというエピソードも残っています。

デビューとブレイクスルー

1973年、彼らはセルフタイトルのデビューアルバム『エアロスミス』をリリースします。

このアルバムには後にバンドの代表曲となる「ドリーム・オン」が収録されていました。スティーブン・タイラーの特徴的な高音ボーカルと内省的な歌詞、バンドの巧みな演奏が融合したこの曲は当初はチャートでの成功には恵まれませんでしたが後にリリースされた際にはヒット曲となります。

Dream On Aerosmith Official Music Video

本格的なブレイクスルーとなったのは1975年の3rdアルバム『トイズ・イン・ジ・アティック』でした。このアルバムは「スウィート・エモーション」や「ウォーク・ディス・ウェイ」などのヒット曲を生み出しアメリカの音楽シーンでエアロスミスの名を確固たるものにしました。

続く1976年の『ロックス』でも商業的成功を収めハードロックバンドとしての地位を確立していきます。この時期の彼らの音楽はブルースの影響を色濃く受けたハードロックでタイラーの特徴的なボーカルとペリーの鋭いギターリフが絶妙に絡み合う独自のサウンドを確立していました。

挫折と復活の歴史

「トキシック・ツインズ」と呼ばれた暗黒期

1970年代後半から1980年代前半にかけてエアロスミスは深刻な内部問題に直面します。

特にスティーブン・タイラーとジョー・ペリーの薬物乱用は深刻化し二人は「トキシック・ツインズ」と呼ばれるようになりました。日本語で言うなら毒された双子ですね。。ステージ上で演奏中に気絶することもあったほど彼らの薬物依存は制御不能な状態に陥っていたのです。

この時期の混乱は音楽にも影響し1979年にはジョーがバンドを脱退。1981年にはブラッド・ウィットフォードも去りバンドは危機的状況に陥りました。代役のギタリストを迎えて活動は続けたものの、アルバムの売り上げは低迷しツアーも以前ほどの動員を見込めなくなっていました。

タイラーはこの時期を振り返り「私たちは崖っぷちにいた。毎日が薬物との戦いで音楽のことを考える余裕すらなかった」と語っています。バンドの創造性は停滞しかつてのエネルギッシュなパフォーマンスは影を潜めていました。

歴史的な復活と再ブレイク

1984年、奇跡的な転機が訪れます。ジョー・ペリーとスティーブン・タイラーが偶然ペリーのコンサートで再会し和解。その後ブラッド・ウィットフォードも復帰しオリジナルラインナップが再結成されました。

さらに重要だったのはメンバー全員が薬物やアルコール依存症のリハビリを受け禁酒・禁薬に取り組んだことです。

心身ともに健康を取り戻した彼らは1987年に『パーマネント・バケーション』をリリース。このアルバムに収録された「Dude (Looks Like a Lady)」や「Angel」などがヒットしエアロスミスは見事に復活を遂げました。

さらに1989年の『パンプ』、1993年の『ゲット・ア・グリップ』と立て続けにヒットアルバムを出しMTV世代の新しいファン層も獲得。80年代後半から90年代前半にかけて彼らは第二の全盛期を迎えることになったのです。

ランDMCとの歴史的コラボレーション

エアロスミスの復活の鍵となった出来事の一つが1986年のランDMCとのコラボレーションでした。彼らの代表曲「ウォーク・ディス・ウェイ」をヒップホップグループのランDMCがカバーしタイラーとペリーが特別参加したこのリメイク版は大ヒットを記録します。

RUN DMC – Walk This Way (Official HD Video) ft. Aerosmith

このコラボレーションは当時衰退していたエアロスミスの人気を復活させただけでなくロックとヒップホップという異なるジャンルの融合を実現させた歴史的な出来事でした。MTV時代に適応できるバンドとしての新しいイメージを確立し若い世代のリスナーに彼らの音楽を紹介する重要な架け橋となりました。

このコラボレーションはランDMCのプロデューサー、リック・ルービンの提案から実現したものでした。当初ランDMCのメンバーはこの曲を知らなかったと言われていますがレコーディングでタイラーとペリーが参加したことで歴史的な名曲が誕生したのです。

音楽的特徴と遺産

エアロスミス・サウンドの進化

エアロスミスの音楽スタイルは長いキャリアの中で常に進化しながらも彼らならではの特徴を維持してきました。初期の彼らはブルースロックに強く影響を受けたハードロックサウンドを確立。ペリーの切れ味鋭いギターリフとタイラーの独特な高音ボーカルが彼らのトレードマークでした。

1970年代の代表作『トイズ・イン・ジ・アティック』や『ロックス』は今でもハードロックの金字塔として高く評価されています。これらのアルバムでは「スウィート・エモーション」や「バック・イン・ザ・サドル」など今日でもラジオでよく耳にする名曲が生まれました。

1980年代後半の復活期には現代的なプロダクションを取り入れながらも彼らの音楽的ルーツを大切にする姿勢が見られました。「ラヴ・イン・アン・エレベーター」や「ジェニーズ・ガット・ア・ガン」などの曲ではポップ寄りの要素も取り入れつつエアロスミスらしいエッジの効いたサウンドを保ちました。

1990年代には「クレイジー」や「アメージング」などのバラードでも成功を収め彼らの音楽的多様性を証明しました。さらに1998年には映画「アルマゲドン」のサウンドトラックとして「I Don’t Want to Miss a Thing」をリリース。この曲は彼らにとって初のビルボードチャート1位を獲得する大ヒットとなりました。

Aerosmith – I Don’t Wanna Miss a Thing – Armageddon – Original Soundtrack | SPOILER ALERT!

音楽界への影響力

エアロスミスの影響力は計り知れません。ガンズ・アンド・ローゼズやモトリー・クルーなど後続の多くのハードロックバンドが彼らをインスピレーション源として挙げています。スティーブン・タイラーのカリスマ的なフロントマンとしてのスタイルは数多くのロックボーカリストに影響を与えました。

彼らの功績は業界からも高く評価されています。これまでに4つのグラミー賞を獲得し2001年にはロックの殿堂入りを果たしました。さらに2020年にはナタリー・ポートマンが彼らの名曲「Janie’s Got a Gun」にインスパイアされた映画「Lucy in the Sky」を製作するなど彼らの影響力は音楽の枠を超えて広がっています。

ライブパフォーマンスの魅力

エアロスミスといえばその圧倒的なライブパフォーマンスも特筆すべき点です。スティーブン・タイラーのステージでの存在感は群を抜いていて彼のエネルギッシュなパフォーマンスと観客を巻き込む能力は70代になった今でも衰えを知りません。

ライブでのジョー・ペリーとのケミストリーも彼らの魅力の一つで二人が向かい合って演奏する場面はファンにとっての見どころとなっています。バンド全体の息の合った演奏は彼らが50年以上共に音楽を作り続けてきた結果と言えるでしょう。

彼らは長年ラスベガスでのレジデンシーショーも成功させました。「Deuces Are Wild」と題されたこのショーでは彼らの長いキャリアを通じたヒット曲を網羅したセットリストで観客を魅了しました。年を重ねても衰えない彼らのパフォーマンスはロックの不滅性を体現しているかのようです。

メンバーの個性と内部ダイナミクス

スティーブン・タイラーとジョー・ペリー:複雑な関係

エアロスミスを語る上で避けて通れないのがスティーブン・タイラーとジョー・ペリーの複雑な関係です。「ロックンロールのレノン&マッカートニー」とも称される二人の関係は創造的なパートナーシップと個人的な対立が入り混じった難しいものでした。

1970年代、二人は音楽的にも私生活でも親密で「トキシック・ツインズ」と呼ばれるほど行動を共にしていました。しかし薬物乱用や音楽的方向性の違い、マネジメントの問題などから関係は悪化。1979年にペリーはバンドを脱退します。

1984年の再会と復帰後も二人の関係は常に緊張と和解の繰り返しでした。タイラーが2010年に「アメリカン・アイドル」の審査員就任を発表した際にはペリーが公の場で不満を表明するなど対立が表面化することもありました。

しかし音楽的には二人の化学反応は絶大でタイラーの感情豊かなボーカルとペリーの鋭いギターリフは完璧にマッチしエアロスミスの音楽の中核を形成してきました。二人は「Toxic Twins」という蔑称を逆手に取り自分たちのロゴ入りトレードマークとして使うほどの関係になっています。

バンドとしての結束力

エアロスミスが50年以上にわたって活動を続けられた最大の理由の一つがメンバー間の強い結束力です。多くのロックバンドが内部対立や方向性の違いで解散する中彼らは幾多の困難を乗り越えてきました。

特筆すべきはオリジナルメンバー5人がほぼ変わらないという驚異的な安定性です。短期間の脱退はあったものの最終的には同じ5人で音楽を作り続けるという稀有なバンドと言えるでしょう。

バンドメンバーは互いの音楽的才能を尊重し合いそれぞれの個性を活かす形で創作活動を続けてきました。トム・ハミルトンとジョーイ・クレイマーのリズムセクションはタイラーとペリーのような派手さはなくてもバンドのサウンドを支える重要な存在です。

ブラッド・ウィットフォードは「影のリーダー」と呼ばれバンド内の調整役として重要な役割を果たしてきました。彼の冷静な判断力は時に感情的になりがちなタイラーとペリーの関係を取り持つ上で不可欠だったと言われています。

エアロスミスに関するよくある質問

エアロスミスのメンバーは現在も全員オリジナルメンバー?

はい、エアロスミスの現在のメンバーは全員オリジナルメンバーです。

スティーブン・タイラー(ボーカル)、ジョー・ペリー(ギター)、ブラッド・ウィットフォード(ギター)、トム・ハミルトン(ベース)、ジョーイ・クレイマー(ドラム)の5人は1970年のバンド結成から現在まで短期間の脱退はあったものの基本的に同じメンバーで活動を続けています。

これはロックバンドとしては極めて珍しいといえるんじゃないでしょうか。彼らの強い結束力を示すものでしょう。

エアロスミスの最大のヒット曲は?

商業的な成功という点では1998年に映画「アルマゲドン」のサウンドトラックとしてリリースされた「I Don’t Want to Miss a Thing」が彼らの最大のヒットといえます。日本でもカラオケで歌える人はともかく、聴いたことがない人はほとんどいないんじゃないかというくらいに有名ですよね。

この曲は彼らにとって初のビルボードホット100チャート1位を獲得しました。

一方バンドの代表曲としては「Dream On」「Sweet Emotion」「Walk This Way」「Janie’s Got a Gun」などが挙げられます。ファンの間では初期のハードロック作品が特に評価されていることが多いですね。

エアロスミスはなぜ「ボストン出身のバッドボーイズ」と呼ばれるのですか?

この愛称は彼らがマサチューセッツ州ボストン近郊で結成されたことと特に初期の頃の彼らの荒々しいイメージに由来しています。

1970年代、彼らは派手なパフォーマンスと私生活での過激な行動(薬物使用や破壊的な行為など)で知られていました。この「バッドボーイズ」というイメージは彼らのロックンロールの真髄を表すブランドとなり彼ら自身もこの愛称を受け入れています。現在は年齢を重ねても「永遠のバッドボーイズ」として親しまれています。

エアロスミスの社会貢献活動について教えて

エアロスミスは音楽活動だけでなく様々な社会貢献活動にも力を入れています。

注目すべきは2017年に設立した「Janie’s Fund(ジェイニーズ・ファンド)」です。これは彼らのヒット曲「Janie’s Got a Gun」にちなんで名付けられた財団で児童虐待を受けた少女たちの支援を目的としています。

スティーブン・タイラーが中心となって設立したこの財団はこれまでに数百万ドルを集め多くの少女たちに心理的サポートや安全な住居を提供しています。バンドはチャリティーコンサートやオークションなどを通じて定期的に資金調達を行っています。

21世紀のエアロスミス

デジタル時代への適応

デジタル音楽の台頭という大きな業界変化の中でエアロスミスは時代に適応する柔軟性を見せました。

2008年にはビデオゲーム「Guitar Hero: Aerosmith」を発売し若い世代に彼らの音楽を紹介することに成功。このゲームは彼らのキャリアを追体験できる内容で新たなファン層の開拓に貢献しました。

ストリーミング時代の到来に際しても彼らは自分たちの音楽カタログをデジタルプラットフォームで積極的に展開。その結果Spotifyでは月間リスナー数が1,000万人を超える人気を誇っています。タイラーもSNSを活用して若いファンとの接点を持ち続けているのです。

2012年には新曲「Legendary Child」をリリースし最新アルバム『ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション』を発表。新たな創作活動も続けていることを示しました。デジタル時代においても彼らの音楽は世代を超えて愛され続けているのです。

遺産の確立とブランド展開

エアロスミスは音楽的遺産の保存と自分たちのブランド化にも成功してきました。

彼らのロゴは世界中で認知されTシャツやその他のグッズは今でも高い人気を誇っています。またボストンにはエアロスミスのアパートメントを保存した博物館施設もありバンドの歴史を後世に伝える取り組みも行われています。

2019年にはラスベガスでのレジデンシーショー「Deuces Are Wild」を開始。これは彼らの音楽的遺産を祝福する内容で大きな成功を収めました。このショーでは最新のテクノロジーを駆使した演出でクラシックな楽曲を新しい形で提示することに成功しています。

彼らはロック界のレジェンドとしての地位を確立する一方で常に新しいチャレンジにも前向きです。2020年にはパンデミックの影響でツアーが中止となりましたがオンラインでのファンとの交流を続けるなど時代に合わせた活動を続けています。

今後の展望

長いキャリアの中でメンバーたちはトップアスリートのように喉の負荷などの問題にも直面してきました。

スティーブン・タイラーは声帯の手術を複数回経験し、ジョー・ペリーは2018年のコンサート中に倒れるなどの出来事もありました。ジョーイ・クレイマーも肩の怪我でしばらく演奏から離れる時期がありました。

ベテランすぎるがゆえにメンバーたちの年齢はバンドの今後の活動に影響を与える重要な要素となっています。彼らは「引退」という言葉を口にしたことはありませんがツアーの頻度や内容は以前と比べて調整されるようになってきています。

スポーツ選手の多くが40歳くらいで引退するのを考えるとライブをするアーティストの運動量はそもそもみんな神がかっているとも言えますよね。それでもこのクラスのロックのレジェンドともなると年齢が年齢です。

それでも彼らの音楽への情熱は衰えていません。タイラーは「私たちはまだやるべきことがある。まだ書きたい曲があるし演奏したいステージがある」と語っています。

まとめ

エアロスミスは世代を超えたファンに感動を与え続けてきました。

タイラーの特徴的なボーカル、ペリーの鋭いギターリフそして5人の完璧なケミストリーが生み出す音楽はロックンロールの本質を体現しているといえるでしょう。50年以上にわたって活動を続けなお現役であり続ける彼らの姿は真のレジェンドの証です。

エアロスミスの音楽はこれからも多くの人々の心に残り新たな世代のミュージシャンたちにインスピレーションを与え続けることでしょう。

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