ピアノ協奏曲の代表格
1874年から1875年にかけて作曲されたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23は、クラシック音楽のレパートリーの中で最も人気のあるピアノ協奏曲のひとつだ。
チャイコフスキーは名ピアニストであり作曲家でもあったフランツ・リストに憧れていた。そしてこの協奏曲によってピアニストの名技と交響曲的な展開の、高次元での融合を示したといえる。
この協奏曲には、いくつかの特徴がある。
冒頭はクラシック音楽に興味がない人でさえ聴いたことがあるよく知られたテーマの1つである、大胆で印象的なメロディがピアノによって導入され、オーケストラによって反響される。しかし、それがこのテーマは楽章の中では展開されないのが、この協奏曲の特徴である。この主題はこの楽章では展開されず、その後に登場する他の主題の「前触れ」のような役割を担っている。
第2楽章は、第1楽章とは対照的に内省的で、美しく叙情的な旋律が特徴です。そして第3楽章は、熱くエネルギッシュなアレグロ・コン・フオーコで激しく締めくくられる。
技術的な特徴としては、冒頭楽章の大きな和音からフィナーレの急速なパッセージまで、この協奏曲は一貫してかなり高度なヴィルトゥオーゾ的な要求をすることで知られている。ピアノとオーケストラは対等な役割を担っている。また、ソナタ形式や主題変奏曲など、チャイコフスキーの形式への造詣の深さがうかがえる。
チャイコフスキー、ルービンシュタイン、フォン・ビューロー
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番はピアノの名手ニコライ・ルービンシュタインのために書かれたものだった。
チャイコフスキー自身の証言によれば、チャイコフスキーはモスクワ音楽院でルービンシュタインと少数の聴衆のために協奏曲を弾き通した。そうして励ましと支援を期待していたチャイコフスキーは、なんと、その代わりに厳しい批評にさらされた。ルービンシュタインはこの協奏曲は稚拙な作曲で構造的欠陥があり演奏できない、芸術的価値がないなどと酷評をした。その上で大幅な変更を加えない限り演奏しないと言った。
これに対してチャイコフスキーは「一音も変えない」と作品の改変を拒否した。
代わりにドイツのピアニスト、ハンス・フォン・ビューローに捧げた。フォン・ビューローはルービンシュタインとは異なって当初からこの協奏曲を熱狂的し、初演を快諾した。初演は1875年10月25日、アメリカのボストンでフォン・ビューローのピアノとボストン交響楽団によって行われた。
演奏は大成功を収め、この協奏曲は聴衆にも批評家にも好評を博した。この協奏曲は瞬く間に世界的な人気を博し、今ではチャイコフスキーの最も有名な曲の一つであり、コンサートの定番レパートリーの一つとなっている。
余談ではあるが、「一音も変えない」とルービンシュタインに言ったチャイコフスキーであるが、後年、この協奏曲に修正を加えている。(ルービンシュタインが指摘したところかは謎である。)
現在我々聴く、最も多く演奏されているのはこの修正版である。
余談ついでにこの協奏曲1番にのトリビアも一つ。チャイコフスキーの交響曲第1番との関連があるのだ。このピアノ協奏曲の第2楽章の主題は、交響曲第1楽章の旋律から採られている。
ここからは備考欄
アレグロ・コン・フオーコ?
アレグロ・コン・フオーコは2つのイタリア語を組み合わせた音楽用語である。アレグロは”速く、生き生きと “を意味し、コン・フオーコは “炎とともに”、”情熱とともに “などと訳される。
したがってアレグロ・コン・フオーコとは速いテンポで情熱的な炎のような激しさで演奏することを演奏者に指示する用語だ。単に速いだけでなく緊迫感や劇的な表現力を伴う音楽のセクションを示すためによく使われる。

ヴィルトゥオーゾ
ヴィルトゥオーゾとは、技術的な巧みさを持つだけでなく音楽を深く理解し、楽器を通して複雑な感情やニュアンスを表現できる高度な演奏家のことである。名前がよく挙げらえるヴィルトゥオーゾの例としては、ヴァイオリニストのニコロ・パガニーニやヤッシャ・ハイフェッツ、ピアニストのフランツ・リストやマルタ・アルゲリッチなどがいる。この用語は、演奏家の技巧を披露するような技術的に要求の高い曲を書く作曲家にも適用される。
ニコライ・ルービンシュタイン モスクワ音楽院の創設者
ニコライ・ルービンシュタイン(1835-1881)はロシアのピアニストである。そしてロシアの名門音楽院である、モスクワ音楽院の創設者として知られる人物だ。
有名な作曲家でピアニストのアントン・ルービンシュタインの弟である。ニコライは教育者としての貢献とピアニストとしての技術の両面において、ロシア音楽界で重要な人物であった。兄に比べると知名度は低いものの、ニコライはロシア音楽に特に教育や事務的な仕事を通じて大きな影響を与えた。
なお、前述の通りニコライ・ルービンシュタインは当初、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏不可能で価値がないなどとかなりの酷評したが、この曲が人気を博した後、後にその批判を撤回している。チャイコフスキーと和解もしたのだ。その後彼のキャリアを通じてピアノ協奏曲1番を何度も演奏していることが知られている。
ハンス・フォン・ビューロー ドイツの名指揮者
ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)は、ドイツの指揮者、作曲家、そしてヴィルトゥオーゾ・ピアニストである。彼も19世紀で最も影響力のある音楽家の一人であった。厳格な水準、華麗なテクニック、革新的な解釈で知られている。
彼は当時を代表する指揮者でありベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめ、いくつかの主要オーケストラやオペラハウスで指揮を務めた。また、リヒャルト・ワーグナー、ヨハネス・ブラームス、リヒャルト・シュトラウスなどの音楽を熱烈に支持した。
フォン・ビューローは1876年のバイロイト音楽祭で長大なオペラ、ワーグナーの「ニーベルングの指環」全曲を指揮した最初の人物でもある。