デューラーの家族
アルブレヒト・デューラー(1471-1528)はドイツルネサンスの代表的な画家、版画家です。
金細工師として成功したデューラーの父、アルブレヒト・デューラー・ザ・エルダーはデューラーの幼少期において極めて重要な人物であった。
彼はデューラーにデッサンの基本を教え彼の作品の特徴である正確さと細部へのこだわりを植え付けた。
一方で母親のバルバラ・ホルパーはデューラーの画業に与える影響は少なかったが15世紀という時代背景の中でなんと18人の子供(うちアルブレヒトは2番目)を育て上げた。

15歳の時、デューラーは木版画で有名な当時の代表的な画家ミヒャエル・ヴォルゲムトに弟子入りする。
ヴォルゲムトの工房で過ごした4年間で、彼は幅広い芸術技法に触れ、デューラーが革命的な人物となることになる本の挿絵の世界も知ることになった。
1494年、デューラーは裕福な商人の娘アグネス・フレイと結婚した。
彼らに子どもこそいなかったが、結婚生活は1528年にデューラーが亡くなるまで続いた。デューラーの膨大な書簡の中には愛情に満ちた記述がないことから一部の伝記作家はこの関係を冷淡で愛想のないものと表現しているが謎に包まれているといえるだろう。
デューラーの旅、イタリアからの影響
イタリアに2回の重要な旅をしました。1回目は1494年から1495年、2回目は1505年から1507年にかけての旅である。
これらの旅はデューラーの作風に大きな影響を与えイタリア・ルネッサンスの革新性を理解するのに貢献した。
この旅でデューラーはジョヴァンニ・ベリーニやアンドレア・マンテーニャといったイタリアの巨匠たちの作品に触れました。
そして比率や遠近法、物語性などを研究しそれらを自分のスタイルに取り入れた。
また、ベネチアの色彩や質感の技法にも強い関心を持ち旅先でじっくり観察した。油絵の革新的な技法はその後の彼の作品や理論的な著作に大きな影響を与えた。
ピルクハイマーなどドイツからの影響
ウィリバルト・ピルクハイマー(1470-1530)はドイツの人文学者、翻訳家であり、アルブレヒト・デューラーの親友であり大きな影響を与えた一人だ。
弁護士でニュルンベルク市議会の議員だったピルクハイマーは、古典、科学、神学など幅広い知的関心を持っていた。
ピルクハイマーはドイツの人文主義運動において重要な役割を果たしギリシャ語やラテン語からドイツ語に様々な作品を翻訳した。また、書籍や写本の収集家としても知られ、当時ドイツで最大規模の個人図書館を築いていた。
デューラーとの友情は二人にとって重要なものであった。ピルクハイマーの人文科学の知識はデューラーの仕事を豊かにしデューラーの版画はピルクハイマーの多くの本の挿絵となったのだ。
また、ザクセン選帝侯フリードリッヒなど、他の芸術家やパトロンとの交友もあり、依頼を受け、その影響力を広げていった。
ちなみにザクセン選帝侯フリードリヒはヴァルトブルク城を居城とし、ヴィッテンベルク大学の創立者であり宗教改革のマルティン・ルターをかくまった人物としても知られる。ルターが95箇条の論題を貼ったのもヴィッテンベルク大学だ。
当時の宗教的風潮の中でデューラーはルターをはじめとするプロテスタント宗教改革の主要人物とも関係を築きその教えを受け入れていた。
しかし、デューラーが亡くなったのは1528年で宗教改革の大きな対立が起こる前であったことには留意する必要があるかもしれない。