アヴィニョンの娘たち
1907年にパブロ・ピカソが描いた「アヴィニョンの娘たち」”Les Demoiselles d’Avignon “は20世紀美術の中で最も画期的な作品のひとつとされています。
原画のタイトルは “Le Bordel d’Avignon”(アヴィニョンの売春宿)だったが後に美術評論家のアンドレ・サルモンによって変更された。 現在ニューヨーク近代美術館に所蔵されている。
テーマとしては売春宿にいる5人の裸婦を描いたものである。
彼女たちの体は平坦な平面で構成され顔はアフリカやイベリア美術の影響を受けている。当時の伝統的なヨーロッパ絵画の流れからくる女性の体の官能的で魅力的な表現ではなく規範から逸脱した厳しく角張ったフォルムで描かれている。技術的に見ると、女性の姿を一連の平坦で幾何学的な平面に分解し、従来の形態、遠近法、空間の表現に挑戦しているのです。
この絵は表現の規範を再定義する試みであると考えられています。彼は伝統的な遠近法や造形の枠にとらわれずに人間の姿をより直接的で生々しい描写で表現しようとしたのです。背景には実際は売春宿が描かれていましたがそれは最終的には余計であると消されたようです。
そしてこの作品はピカソが共同で創設したキュビズムが20世紀美術に革命を起こすきっかけとなった作品とされています。また、批評としてはピカソが性と欲望というテーマを探求し、女性の姿に魅惑と不安を複雑に織り交ぜた作品と見られることももちろんある。
絵のタイトルは、ピカソ自身がつけたものではなく、彼の友人で美術評論家のアンドレ・サルモンがつけたものです。またタイトルの「アヴィニョン」は有名なフランスの都市を考えてしまう方も多いと思いますが売春宿で有名なバルセロナの通りを指しています。
ピカソはこの絵の制作に9ヵ月間取り組み、100枚以上の下絵や習作を制作した。 当時はこの絵は発表されると多くの批判を浴びスキャンダラスな作品とされた。完成からなんと、10年近くも経った1916年まで公に展示されることはなかった。
ゲルニカ
1937年にパブロ・ピカソが一か月という短期間で制作した “ゲルニカ “は歴史上最も有名な反戦絵画の1つです。
スペイン内戦中、フランシスコ・フランコを支持するナチス・ドイツ軍とイタリア・ファシスト軍によってスペイン北部のバスク地方の村ゲルニカが爆撃されたことに対するピカソの表現である。
ピカソはこのゲルニカ爆撃の時は実際には遠く離れたパリに住んでいた。その町を訪れたこともなかったが報道でその惨状を知ったそうである。 この絵はスペイン内戦への関心を高めるため世界中に展示されることになる。
珍しい単色、巨大なキャンバスに描かれ戦争の残酷さと悲劇が描かれている。死んだ子供を抱いて泣き叫ぶ母親、バラバラになった兵士、怯える馬、牛など、バラバラで苦悩する人物がピカソのキュビズムのスタイルで描かれている。
1937年のパリ万国博覧会のスペイン館のために制作を依頼された彼はスペイン内戦の惨状に世界的な注目を集めファシズムを非難することを望んでいた。
この絵は特定の出来事の絵ではあるが文字通りの具体的な表現ではなく、戦争が個人に与える苦痛、混乱、破壊を、バラバラになった苦悶の表情を浮かべる人物や、荒涼とした混沌とした構図で抽象的にだが直感的に伝わるように表現しているといえるだろう。