ラフマニノフの人間関係 シャリアピンステーキも関係!?

音楽

ラフマニノフのつながり 従弟はメンター、従妹と結婚

ロシア・ロマン派のセルゲイ・ラフマニノフ、彼の人生において最も重要な関係のひとつが、従兄弟でピアニスト・指揮者として有名なアレクサンドル・シロティとの関係である。シロティはラフマニノフをモスクワの音楽界に紹介し彼の形成期に精神的、経済的なサポートをした。

もう一人、ラフマニノフの幼少期に重要な役割を果たしたのが、モスクワでピアノを教えたニコライ・ズヴェレフである。彼の厳しい訓練は技術を磨く上で重要な役割を果たした。またズヴェレフはラフマニノフにチャイコフスキーの音楽を紹介し、彼は後に友人にもなった。

ラフマニノフはチャイコフスキーを深く尊敬し、大きな影響を与えた。チャイコフスキーの死後には彼を偲んで「トリオ・エレアージュ第2番ニ短調」を作曲もしている。

私生活では従姉妹のナタリア・サティナと結婚した。いとこ同士の結婚に反対する教会の意向もあり当初は抵抗があったが、1902年に結婚した。2人の娘をもうけた2人は、互いに深い愛情を注ぎ続けた。ナタリアはラフマニノフの精神的な支えとなり、特に憂鬱な時期や自信喪失の時期には大きな支えになった。

イングランド・アメリカ時代

仕事上の関係ではイングランドにおいてはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と長い付き合いをし、その指揮者であるサー・トーマス・ビーチャムとも親交があった。アメリカではフィラデルフィア管弦楽団とその指揮者レオポルド・ストコフスキーとの間に特別な関係があり、彼の作品の録音は今でも有名である。

ラフマニノフはアメリカ時代、ロシアの若手ピアニストのウラジーミル・ホロヴィッツと親交を深め、年齢差こそあれ、互いのピアノの才能を尊敬し、賞賛し合った。ラフマニノフはホロヴィッツについて、”彼は私の嬰ハ短調のプレリュードを一息に飲み込んだ “と言ったことがある。

シャリアピンとラフマニノフ

シャリアピンとラフマニノフ

20世紀初頭の最も有名なバスのオペラ歌手、フョードル・シャリアピンとの関係も重要なものであった。(日本においては帝国ホテルのシェフが考案した歯ごたえの優しいシャリアピンステーキでその名を知っている人も多いかもしれない)

シャリアピンステーキ

シャリアピンとラフマニノフの関係は、彼らの音楽的な交流や相互の影響に加えて、特にラフマニノフがシャリアピンのために作曲した作品があることでも知られています。

ラフマニノフは、シャリアピンの声の特性を理解し、彼のために特別に楽曲を提供することで、彼の音楽キャリアを支援しました。これにより、シャリアピンはラフマニノフの音楽を広める重要な役割を果たし、両者の関係は単なる同時代のアーティストの枠を超えた深いものとなりました。

同時にシャリアピンの演奏スタイルは、ラフマニノフの音楽の感情的な深さを引き出すのに寄与し、彼の作品がオペラやコンサートで演奏される際に注目される機会を増やしたと言えます。

シャリアピンについて

フェオドル・シャリアピン(Фёдор Шаляпин)は1873年にロシア帝国のカザンで生まれた著名なオペラ歌手で、特にバスの声域で知られた歌手です。

彼はその力強い声と卓越した演技力から「歌う俳優」とも称され、20世紀初頭のオペラ界で影響力のある人物でした。モスクワのボリショイ劇場での公演を通じて名声を得て世界中で演奏を行いました

彼の歌唱スタイルは感情豊かであり、観客に深い印象を与えるもので特に、彼の演技はキャラクターの心理描写に優れており、オペラの舞台での存在感は圧倒的と評されたほどです。

シャリアピンステーキとは

余談ですがシャリアピンステーキについて。

こちらは1936年に日本の帝国ホテルでシャリアピンのために創作された料理です。

この料理は彼が歯の具合が悪かったため、柔らかい肉を求めたことから生まれました。

具体的には上記の動画を見てもらえばわかるかとも思いますが、牛肉を叩いて薄くし、すりおろした玉ねぎに漬け込むことで肉を柔らかくし(玉ねぎはタンパク質分解作用がある物質が含まれています)、その後焼き上げるというレシピの料理です。

実際食べたことがある方も多いかもしれませんが、風味としても玉ねぎの風味が肉に染み込み、柔らかいだけでなくジューシーで風味豊かな仕上がりになります。

意外に帝国ホテルではなくファミレスにもあったり、レシピ的には自宅でも作ることは可能なので興味がある方はラフマニノフを聴きながらお試しあれ。と、今回はこんなところで。。

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