鱒 シューベルトの代表的室内楽作品
シューベルトのピアノ五重奏曲イ長調D.667こと「鱒の五重奏曲」。室内楽クラシックのレパートリーの定番である。
この曲はシューベルトが室内楽の世界に足を踏み入れた最初の作品であり後に大きな貢献をすることになるジャンルの先駆けともいえる位置の作品である。弦楽五重奏曲ハ長調や後期ピアノソナタのような、後の大作への先駆けでもあった。
曲のテーマを単純に一言で言えば、小川を自由に泳ぐ鱒が漁師に捕まるという物語である。
ただ、起源は色々と考察されていて興味深い。シューベルトは、自分の才能を認めてもらえない社会の中で、苦闘する芸術家としてこの鱒に共感したという説もある。
ますの作曲経緯
1819年、フランツ・シューベルトがまだ22歳のときに作曲された「ます」。
その歴史を見ると、鱒の五重奏曲はシューベルトが友人のバリトン歌手ヨハン・ミヒャエル・ヴォーグルと一緒に上オーストリアを旅行したときに生まれたものである。
この旅でシューベルトは、裕福な音楽後援者でアマチュアのチェリストであったシルヴェスター・パウムガルトナーを紹介される。
パウムガルトナーはフンメルの「ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスのための五重奏曲」に倣って、シューベルトに五重奏曲を作曲するように頼んだ。
さらに彼はこの五重奏曲の名前の由来となった、シューベルトの初期の歌曲「鱒」(Die Forelle)の変奏曲を入れるように頼んだのである。
このように、この五重奏曲はシューベルトが、パウムガルトナーやシュタイアーの音楽愛好家たちを喜ばせるために作曲したものと考えられている。要するに作曲当時はパウムガルトナーの仲間内で内輪で演奏されていたものなのである。
しかし、シューベルトの死後にこの五重奏曲は世間的にも人気を博し、現在ではシューベルトの最も人気のある室内楽作品のひとつとされている。
ちなみに少し小話を言うと、シューベルトの死後の一時期、楽譜が失われたと思われていたことがあった。
しかし、音楽家であり出版業者でもあったディアベリ家の所有する楽譜が発見され、1829年に出版されたのである。貴重な人類の遺産が危ないところである。
ますの特徴
曲は陽気で快活な性格と豊かな旋律を特徴としている。
冒頭のアレグロ・ヴィヴァーチェ、叙情的なアンダンテ、躍動感あふれるスケルツォ、シューベルト歌曲の要素を取り入れた鱒に基づく主題と変奏、そして活気に満ちたフィナーレの5楽章から構成される。
この五重奏曲で特に印象的なのは第4楽章で、シューベルトはピアノで「鱒」の旋律を導入し、その後、5つの特徴的な変奏を行う。
また、リートの要素を室内楽に取り入れるという、いわばジャンルの混在はシューベルトが器楽の表現領域を広げた一つの方法であったと言える。
技術的にはピアノ・パートはしばしばヴィルトゥオーゾ的であるが、弦楽器パートはパウムガルトナーがアマチュア・チェリストであることを反映してか、概して実直というか、比較的技術的にはシンプルなものである。
主題と変奏の楽章では、シューベルトの意外な転調や豊かな響きのあるピアノが、ロマン派の気風を感じさせ、五重奏では各楽器の間で自由に主題が受け渡される会話形式が古典派の伝統を表しているともいえるだろう。
鱒で使用されている楽器
鱒の五重奏曲はピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという当時としてはなかなか型破りな組み合わせで書かれている。
当時の典型的なピアノ五重奏の編成は、ピアノ、ヴァイオリン2人、ヴィオラ、チェロである。
しかし、シューベルトは(パウムガルトナーの影響を受けて)第2ヴァイオリンをコントラバスに置き換えるという選択をしたのだ。これによりこの五重奏曲に独特の個性を与えている。コントラバスにより低音まで含まれる広い音域と豊かなテクスチュアが可能になり、アンサンブルの響きにさらなる深みを与えたといえるだろう。

ヨハン・ミヒャエル・フォーグルとの関係
余談だがシューベルトと当時の著名なバリトン歌手ヨハン・ミヒャエル・フォーグルとの関係も注目に値する。
フォーグルはしばしばサロンやコンサートでシューベルトの作品を演奏しており、彼らの協力と友情はシューベルトの歌曲をより多くの聴衆に届けるのに役立った。
この関係はシューベルトのリート作曲家としての成長と死後の評価にとってかなりインパクトがあったと考えられる。