現代デザイン【バウハウスとは】形態は機能に従う

バウハウスの建築デザイン デザイン

100年以上前に誕生したバウハウス現代デザインの基礎を築いた革新的な教育機関であり芸術運動でした。

形態は機能に従う」という有名な原則を掲げ装飾よりも機能性を重視した彼らのアプローチは今日の建築、家具、グラフィックデザインなど多岐にわたる分野に深い影響を与えています。

シンプルでありながら美しく、実用的でありながら革新的。

バウハウスの理念は私たち日本人にとっても身の回りの目にする色々なもののデザインにいまだに息づいているのです。以下ではそんなバウハウスの誕生から現代に至るまでの影響を探っていきます。

バウハウスの誕生と理念

歴史的背景と設立の目的

バウハウスは第一次世界大戦後の1919年、ドイツのワイマールで建築家ワルター・グロピウスによって設立されました。

当時のドイツは戦争の傷跡から立ち直ろうとしていた時期で社会や文化の再建が求められていました。グロピウスはこの混沌とした時代に新しい時代にふさわしいデザイン教育を提案したのです。

バウハウスという名前自体が意味深いものでした。「Bau(建築)」と「Haus(家)」を組み合わせたこの名前には中世の大聖堂建設現場「Bauhütte(建設小屋)」にインスピレーションを得た芸術家と職人が共同で働く場を作るという意図が込められていたのです。

バウハウスの設立目的は明確でした。芸術と工業技術を融合させ機能的でありながら美しいデザインを生み出すこと。グロピウスは設立宣言の中で「芸術家と職人の間にある傲慢な壁を取り壊しすべての創造活動を建築に統合する」という理想を掲げました。これは当時としては革命的な考え方だったのです。

この新しい学校は伝統的な美術アカデミーとは一線を画し理論と実践を同等に重視する教育モデルを構築しました。芸術の枠を超え日常生活に密接に関わるデザインを追求する姿勢はその後のデザイン教育の模範となっていきます。

1200px-6265_Dessau 現代デザイン【バウハウスとは】形態は機能に従う

en.wikipedia.org

独自の教育システムと予備課程

バウハウスの教育システムは当時としては画期的なものでした。最も特徴的だったのがすべての学生が受講する「予備課程(Vorkurs)」です。この6ヶ月間の基礎コースでは色彩、形態、素材の基本を学び先入観や固定観念を取り払うことを目的としていました。

予備課程を担当したのは最初はヨハネス・イッテンでした。彼は禅の思想にも影響を受けた独特の教育法で学生たちの創造性を引き出しました。例えば目を閉じて描画する、非支配的な手で作業するといった慣習的な思考から解放される練習が行われたのです。

予備課程を修了した学生たちは木工、金属工芸、織物、印刷、陶芸などの専門工房に進みました。ここで特徴的だったのは「マイスター(親方)」と呼ばれる二人の指導者がいたことです。一人は技術を教える「職人マイスター」、もう一人は芸術的側面を教える「形態マイスター」でした。この二重指導体制によって技術と芸術の融合を実現していたのです。

「実践を通じて学ぶ」というバウハウスの教育理念は今日のデザイン教育でも重視されています。理論だけでなく実際に手を動かし様々な素材や技法を経験することの重要性はバウハウスが現代に残した大きな遺産の一つといえるでしょう。

4ad56fde-d1ca-431c-adc6-0351e1418d8e 現代デザイン【バウハウスとは】形態は機能に従う

www.archilovers.com

バウハウス100周年と再評価

2019年はバウハウス設立100周年にあたり世界中で展覧会やイベントが開催されました。この機会にバウハウスの遺産が改めて見直され特に以前は注目されていなかった側面に光が当てられています。

特に再評価が進んでいるのは前述したバウハウスの女性たちの貢献です。

長らくバウハウスの歴史は男性中心に語られてきましたが近年の研究ではアニ・アルバース、マリアンネ・ブラント、グンタ・シュテルツルなどの女性デザイナーたちの革新的な業績が再評価されています。2019年にはドイツのデッサウで「バウハウスの女性たち」という展覧会も開催されました。

またバウハウスの社会的・政治的側面も再考されています。

バウハウスはしばしば純粋に造形的・美学的な学校として語られてきましたが実際には社会改革や民主的な生活環境の創出という政治的な理想も持っていました。特にハンネス・マイヤー時代のバウハウスは社会的な課題に積極的に取り組んでいました。この側面は冷戦時代には意図的に軽視されていましたが今日では重要な研究テーマとなっています。

さらにバウハウスのグローバルな影響も再検討されています。バウハウスの理念は単に西洋に広まっただけでなくアジア、アフリカ、南米など世界各地に伝わりそれぞれの地域で独自の発展を遂げました。こうした「グローバル・バウハウス」の視点は西洋中心のデザイン史観を見直す契機となっています。

100周年を機に進んだこれらの再評価によりバウハウスはより複雑で多面的な姿で理解されるようになっています。単なる「白い箱」のモダニズムではなく多様な考え方や実践が交差する場としてのバウハウスの姿が浮かび上がってきているのです。

バウハウスの中心的人物たち

先見の明を持った3人の校長

Mies_van_der_Rohe 現代デザイン【バウハウスとは】形態は機能に従う

hash-casa.com

バウハウスの歴史において3人の校長たちはそれぞれ異なるビジョンと指導力で学校を導きました。

ワルター・グロピウス(1919-1928)は創設者であり初代校長としてバウハウスの基本理念を形作りました。

建築家である彼は「芸術と技術の新しい統一」をモットーに掲げ伝統的な美術学校の枠を超えた革新的な教育機関を構想しました。グロピウスの功績は単に学校を設立しただけでなく時代の変化に合わせてバウハウスを進化させた柔軟性にもあります。彼は後にハーバード大学で教鞭を執りバウハウスの理念をアメリカに広める役割も果たしました。

ハンネス・マイヤー(1928-1930)は2代目校長としてより社会的な視点を導入しました。「人民のニーズ」を重視した彼の下でバウハウスは一般大衆のための実用的なデザインにより焦点を当てるようになりました。左派的な政治姿勢が強かったマイヤーの時代は短いものでしたがデザインの社会的責任という観点は現代でも重要な視点です。

そして当サイトでも幾つか記事を書かせてもらったミース・ファン・デル・ローエ(1930-1933)は最後の校長として困難な政治状況の中でバウハウスを導きました。

「少ないほど豊か(Less is more)」という有名な言葉を残した彼は純粋な形態と素材の本質を追求する建築家でした。ナチスの台頭によりバウハウスは閉校を余儀なくされましたがミースはアメリカに亡命しシカゴで近代建築の発展に大きく貢献しました。

三者三様のアプローチを持っていた校長たちですがいずれもデザインを通じて社会をより良くするという共通の理想を持っていました。彼らの多様な視点がバウハウスのデザイン理念を豊かにする要因となったのです。

革新的な教師陣と彼らの貢献

バウハウスには多様なバックグラウンドを持つ才能ある教師たちが集まっていました。その中でも特に影響力があった人物をいくつか紹介します。

ヨハネス・イッテンはバウハウス独自の予備課程を確立した人物です。

彼の色彩理論や素材研究は基礎デザイン教育に大きな影響を与えました。イッテンは東洋思想にも興味を持ち呼吸法や瞑想をデザイン教育に取り入れるという革新的なアプローチを実践していました。彼の著書『色彩の芸術』は今でもデザイン教育の重要な教科書となっています。

ワシリー・カンディンスキーは抽象芸術の先駆者として知られバウハウスでは色彩理論と抽象芸術の基礎を教えました。

彼の「点・線・面」の理論は形態の基本要素を分析するもので今日のグラフィックデザインの基礎となっています。カンディンスキーは芸術と音楽の相関関係にも関心を持ち色彩と音の共感覚的な関係を探求していました。

パウル・クレーもまた抽象芸術の巨匠でバウハウスでは「形態論」を教えました。

彼は芸術における自然の法則と構造を分析し創造的なプロセスにおける直観と計算のバランスを重視しました。「芸術は見えるものを再現するのではなく見えないものを見えるようにする」という彼の言葉はバウハウスの精神を象徴しています。

ラースロー・モホリ=ナギはハンガリー出身の芸術家で写真や映画などのニューメディアをデザイン教育に導入した先駆者です。彼の「ニュー・ビジョン」はカメラのレンズを通して世界を新しい視点で見ることを奨励するもので現代の視覚文化に大きな影響を与えました。

マルセル・ブロイヤーはハンガリー出身の建築家・デザイナーでバウハウスで家具デザインを担当しました。彼が1925年にデザインした「ワシリーチェア」は軽量な鋼管を使用した革新的な椅子で今日でも現代的に感じられるデザインです。

これらの教師たちは単に自分の専門分野を教えるだけでなくバウハウスの理念に基づいた横断的なアプローチを実践しました。彼らの多様な背景と才能がバウハウスを創造性の温床にしたのです。

bauhaus-designers-together 現代デザイン【バウハウスとは】形態は機能に従う

www.widewalls.ch

女性のパイオニアたち

バウハウスは当時としては珍しく男女平等の入学機会を提供していました。

設立当初は学生の半数近くが女性だったといわれています。しかし実際には多くの女性たちは織物工房などの「女性的」とされる領域に誘導されることが多く完全な平等というわけではありませんでした。

そうした制約にもかかわらずバウハウスの女性たちは多くの革新的な業績を残しています。

アニ・アルバースは織物デザインの分野で国際的に認められた最初の女性デザイナーの一人です。彼女はテキスタイルを芸術の一形態として捉え直し幾何学的なパターンと織物の構造的可能性を探求しました。彼女のデザインは現代の織物デザインに大きな影響を与えています。

マリアンネ・ブラントは金属工房で活躍したデザイナーで機能性と美しさを兼ね備えた茶器や照明器具などをデザインしました。彼女のデザインは無駄のないシンプルさと優れた機能性を持ちバウハウスの理念を体現するものでした。ブラントのティーポットなどは今日でも近代デザインの傑作として美術館に展示されています。

グンタ・シュテルツルは織物工房の若きマイスターとしてテキスタイルデザインに革新をもたらしました。彼女は織物を単なる装飾としてではなく建築空間と一体化する要素として捉えました。また、大量生産に適した織物デザインも開発し産業デザインとしてのテキスタイルの可能性を広げました。

これらの女性たちは男性中心だった当時のデザイン界において重要な足跡を残しました。バウハウスの閉鎖後も各地で活躍しその理念を広める役割を果たしたのです。近年、こうしたバウハウスの女性たちの貢献が再評価されデザイン史における彼女たちの正当な位置づけが進んでいます。

バウハウスのデザイン理念と実践

「形態は機能に従う」その真意

「形態は機能に従う(Form follows function)」という言葉はバウハウスのデザイン哲学を表す最も有名な言葉の一つです。

この原則は装飾を排した機能的なデザインを推進する根拠となりました。しかしこの言葉の真の意味は単純な機能主義ではありません。

この言葉自体は実はアメリカの建築家ルイス・サリヴァンが1896年に提唱したものでバウハウスはこの考え方を発展させました。バウハウスの解釈ではこの原則は「無駄な装飾を排除せよ」という否定的な意味ではなく「機能から美しさを見出せ」という肯定的な意味合いが強かったのです。

例えばマルセル・ブロイヤーのデザインした「チェスカチェア」は座り心地という機能を満たすだけでなく鋼管の弾力性がもたらす視覚的なリズムや素材そのものの美しさを引き出しています。つまり機能性自体が美的価値を生み出していたのです。

グロピウスは「美は良い機能の結果である」と述べていますがバウハウスの思想では機能と美は対立するものではなくむしろ互いに補完し合うものとして捉えられていました。実用性を追求する過程で無駄を省き素材や構造の本質を露わにすることで新しい美学を確立したのです。

現代デザインへの影響を考えるとこの原則の持つ意味は単に「装飾を排除する」ということにとどまりません。むしろ「なぜそのデザインが必要なのか」という根本的な問いを常に念頭に置くという姿勢こそバウハウスの遺産といえるでしょう。

bauhaus-250403_top 現代デザイン【バウハウスとは】形態は機能に従う

bulan.co

バウハウスの代表的プロダクト

バウハウスの工房から生まれた製品はその理念を具体的に体現するものでした。いくつかの代表的な作品を紹介します。

ワシリーチェア(マルセル・ブロイヤー、1925年):おそらくバウハウスを代表する家具デザインで従来の椅子の概念を覆したものでした。鋼管という当時の新素材を使用し必要最小限の構造で座り心地の良い椅子を実現しました。名前の由来は同僚のワシリー・カンディンスキーのアトリエ用にデザインされたことからきています。

バウハウスランプ(ヴィルヘルム・ワーゲンフェルト、1924年):ガラスと金属でできたこのテーブルランプはシンプルな幾何学形態と素材の透明性を活かしたデザインです。電球、シェード、脚部の構造がすべて視覚的に明快で「形態は機能に従う」原則を体現しています。

バウハウス建物(ワルター・グロピウス、1925-1926年):デッサウに建設されたバウハウスの校舎自体がバウハウスの理念を表現したものでした。ガラスのカーテンウォール、機能に応じた建物の配置、平屋根など当時としては革新的な設計でした。この建物は2019年にユネスコ世界遺産に登録されています。

ユニバーサルフォント(ヘルベルト・バイヤー、1925年):バウハウスのグラフィックデザインも革新的でした。バイヤーがデザインしたこのサンセリフ書体は大文字と小文字の区別をなくし純粋に機能的なタイポグラフィを目指したものでした。現代のミニマルなフォントデザインに大きな影響を与えています。

これらの製品は単なるデザインの成果物ではなく新しい生活様式や価値観を提案するものでした。シンプルで機能的かつ美しいデザインという理想はこれらの製品を通じて具体的な形になり現代のデザインにも大きな影響を与え続けています。

バウハウスに関するQ&A

バウハウスはなぜナチスによって閉鎖されたのですか?

バウハウスはその国際的で前衛的な性格からナチスの「ドイツ的でない」という批判を受けました。

ナチスは「退廃芸術」としてモダニズムを非難し国粋主義的な芸術観を推進していました。また、バウハウスの多くの教師や学生が左派的な政治思想を持っていたこともナチスの反感を買う原因となりました。

1933年にナチスが政権を握るとバウハウスは自主的な閉鎖を余儀なくされましたが皮肉なことにこれが教師や学生の国外流出を促しバウハウスの理念が世界中に広がる結果となりました。

バウハウスの予備課程とは具体的にどのようなものだったのですか?

予備課程(Vorkurs)は全ての学生が入学後に6ヶ月間受講する必修コースでした。

この課程では素材の特性や基本的な造形要素(点、線、面、色彩など)について学びました。特徴的だったのはこれまでの美術教育のような模写や技術習得ではなく創造的な思考と実験を重視したことです。

例えば様々な素材(紙、金属、木など)を使った立体構成や色彩の相互作用を体験する演習などが行われました。ヨハネス・イッテンが確立し後にラースロー・モホリ=ナギやヨゼフ・アルバースに引き継がれたこの課程は今日の基礎デザイン教育のモデルとなっています。

バウハウス様式と言われるときの特徴は何ですか?

バウハウス様式の特徴としては幾何学的な形態の使用、装飾の排除、素材の特性を活かしたデザイン、機能性の重視、原色(赤・青・黄)と無彩色(黒・白・グレー)の使用などが挙げられます。

ただし重要なのはバウハウス自体は単一の「様式」を教えていたわけではないということです。むしろ問題解決のための方法論や思考プロセスを重視していました。

実際、バウハウス関係者のデザインを見ると多様性があり「バウハウス様式」と一括りにするのは単純化しすぎといえるでしょう。バウハウスの本質は特定の様式ではなくデザインへのアプローチ方法にあったのです。

現代のどのようなデザインや製品にバウハウスの影響が見られますか?

iPhoneのようなApple製品のミニマルなデザイン、IKEAの機能的で手頃な家具、無印良品のシンプルな製品哲学、Googleのマテリアルデザインなど現代の多くのデザインにバウハウスの影響を見ることができます。

また、モダンな建築やサンセリフ書体を用いたシンプルなグラフィックデザイン、モジュール式の家具デザインなどもバウハウスの理念を継承しています。

バウハウスの「必要最小限のデザイン」「素材の正直な使用」「大量生産を前提としたデザイン」といった考え方は今日のサステイナブルデザインやユニバーサルデザインの先駆けともいえるでしょう。

バウハウスの現代的意義と遺産

世界に広がったバウハウスの影響

バウハウスの閉鎖は皮肉にもその理念を世界中に広げる結果となりました。ナチスの迫害を逃れて多くの教師や学生がアメリカや他の国々に亡命し各地でバウハウスの教育方法やデザイン理念を広めたのです。

アメリカではモホリ=ナギがシカゴに「ニュー・バウハウス」(後のイリノイ工科大学デザイン学部)を設立しグロピウスはハーバード大学で教鞭を執りました。ミース・ファン・デル・ローエはイリノイ工科大学の建築学部長となりアメリカの近代建築教育に大きな影響を与えました。ヨゼフ・アルバースはブラック・マウンテン・カレッジやイェール大学で色彩理論やデザイン教育を展開しました。

イスラエルではバウハウス出身の建築家たちが「白い都市」と呼ばれるテルアビブの近代建築群を設計しこれは2003年にユネスコ世界遺産に登録されています。日本でも1930年代に留学した建築家たちを通じてバウハウスの理念が伝えられ戦後の日本のデザイン教育に影響を与えました。

このようにバウハウスの理念は国境を越えて広がり現代デザインのグローバルな基盤となりました。シンプルで機能的なデザイン、素材の特性を活かしたアプローチ、理論と実践の統合といったバウハウスの原則は今日の国際的なデザイン言語の一部となっているのです。

現代デザイン教育への貢献

バウハウスの教育システムは100年以上経った今でも世界中のデザイン教育に大きな影響を与えています。多くのデザイン学校やアート系大学ではバウハウスの予備課程を模した基礎教育を採用しています。

最も明らかな遺産は「基礎デザイン(Foundation Course)」の概念でしょう。多くのデザイン学校で1年目に提供されるこのコースはバウハウスの予備課程から直接影響を受けています。素材実験、色彩理論、形態研究などデザインの基本要素を学ぶ方法はバウハウスで確立されたものなのです。

また、理論と実践の統合、工房での実習重視、多分野横断的なアプローチなどバウハウスの教育哲学は現代のデザイン教育の核心部分に今も生きています。「プロジェクトベースの学習」や「問題解決型デザイン」といった現代的な教育方法もバウハウスの実践的教育に起源を持つものといえるでしょう。

さらにバウハウスが提唱した「デザインはすべての人のためにある」という民主的な考え方は現代のデザイン教育における社会的責任の意識にもつながっています。持続可能性やユニバーサルデザインといった現代的な課題もバウハウスの社会改革的な精神と無関係ではありません。

デジタル時代におけるバウハウスの精神

デジタル技術が支配する現代において100年前のバウハウスの理念はまだ有効なのでしょうか?実はバウハウスの基本原則—シンプルさ、機能性、ユーザー中心のアプローチ—はデジタルデザインの世界でも重要な指針となっています。

ウェブデザインやアプリのインターフェースデザインでは「シンプルさ」が重視されます。不必要な装飾を排除しユーザーの目的達成を最優先する考え方はまさにバウハウスの「形態は機能に従う」の現代的解釈といえるでしょう。Googleのマテリアルデザインやアップルのデザイン哲学にはバウハウスのミニマリズムの影響を見ることができます。

また、バウハウスが提唱した「芸術と技術の新しい統一」という原則はデジタル時代において新たな意味を持ちます。プログラミングとデザイン、エンジニアリングと美学の融合は現代のデジタルプロダクト開発において不可欠になっています。バウハウスが芸術と工芸の境界を越えようとしたように今日のデザイナーはデザインと技術の境界を越えて活動しています。

さらにバウハウスの実験的な精神は急速に変化するデジタル環境においても重要です。新しい技術や表現手段を恐れず積極的に探求するという姿勢はイノベーションの源泉となります。バウハウスが当時の新素材や新技術(鋼管、プライウッド、写真など)を積極的に取り入れたように現代のデザイナーもVR、AI、3Dプリンティングなどの新技術を創造的に活用しています。

バウハウスの「プロトタイプを作る」という実践的アプローチも現代のデザイン思考やアジャイル開発の先駆けといえるでしょう。理論だけでなく実際に形にして試すという方法論はデジタルプロダクト開発においても効果的です。こうした点から見ると100年前のバウハウスの精神はデジタル時代においても色あせることなくむしろ新たな意義を持って生き続けているといえるでしょう。

バウハウス100周年と再評価

2019年はバウハウス設立100周年にあたり、世界中で展覧会やイベントが開催されました。この機会に、バウハウスの遺産が改めて見直され、特に以前は注目されていなかった側面に光が当てられています。

特に再評価が進んでいるのは、前述したバウハウスの女性たちの貢献です。長らくバウハウスの歴史は男性中心に語られてきましたが、近年の研究では、アニ・アルバース、マリアンネ・ブラント、グンタ・シュテルツルなどの女性デザイナーたちの革新的な業績が再評価されています。2019年にはドイツのデッサウで「バウハウスの女性たち」という展覧会も開催されました。

また、バウハウスの社会的・政治的側面も再考されています。バウハウスはしばしば純粋に造形的・美学的な学校として語られてきましたが、実際には社会改革や民主的な生活環境の創出という政治的な理想も持っていました。特にハンネス・マイヤー時代のバウハウスは、社会的な課題に積極的に取り組んでいました。この側面は冷戦時代には意図的に軽視されていましたが、今日では重要な研究テーマとなっています。

さらに、バウハウスのグローバルな影響も再検討されています。バウハウスの理念は単に西洋に広まっただけでなく、アジア、アフリカ、南米など世界各地に伝わり、それぞれの地域で独自の発展を遂げました。こうした「グローバル・バウハウス」の視点は、西洋中心のデザイン史観を見直す契機となっています。

100周年を機に進んだこれらの再評価により、バウハウスはより複雑で多面的な姿で理解されるようになっています。単なる「白い箱」のモダニズムではなく、多様な考え方や実践が交差する場としてのバウハウスの姿が浮かび上がってきているのです。

まとめ

バウハウスは、わずか14年という短い活動期間にもかかわらず、現代デザインの基盤を形作った革新的な教育機関でした。「芸術と技術の新しい統一」を目指したその理念は、今日のデザイン思考の原点となっています。

ワルター・グロピウスの先見性、優れた教師陣の多様な才能、革新的な教育システム、そして社会を変えるというビジョン—これらの要素が結集したバウハウスは、デザインの民主化と機能主義の普及に大きく貢献しました。

その影響は建築、家具、グラフィックデザイン、工業デザイン、さらには現代のデジタルデザインに至るまで幅広い分野に及んでいます。

ナチスによる弾圧で閉鎖を余儀なくされたバウハウスですが、皮肉にもそれが教師や学生の世界各地への移住を促し、バウハウスの理念のグローバルな拡散につながりました。

今日、私たちの身の回りには、バウハウスの影響を受けたデザインが溢れています。シンプルで機能的な家具、サンセリフ書体を用いたクリアなグラフィックデザイン、装飾を排したモダンな建築など、バウハウスの美学は現代デザインの言語となっています。

バウハウス100周年を機に進んだ再評価によって女性デザイナーの貢献や社会改革的側面など、これまで見落とされていた側面にも光が当てられるようになりました。デジタル時代においても、バウハウスの基本原則は有効であり続け、シンプルさ、機能性、ユーザー中心のアプローチは現代のデザイン思考の核心となっています。

100年前に始まったこの革新的な運動は一過性ブームではなく、今なお私たちのデザイン文化に生き続ける思想です。バウハウスが示した「日常を美しくデザインする」という理想はこれからも私たちのデザイン実践に指針を与え続けることでしょう。

タイトルとURLをコピーしました